桂 春菜って誰やねん!

昭和16年10月5日大阪市生まれ。
本名・浜田憲彦。市岡商業高等学校卒業後、証券会社に勤めるが、昭和37年三代目桂春団治に入門、春蝶を名乗る。初舞台は昭和39年8月、新世界新花月。デビューと同時にマスコミで売れ、テレビやラジオで活躍、常に第一線のタレントとして注目を受けた。
落語家としての活躍も目ざましいものがある。米朝、松鶴、春団治、文枝といったいわゆる上方落語四天王の次の世代を担う人物で枝雀、仁鶴らとともに独自の芸境を作りあげ「春蝶落語」と呼ばれる芸風を確立した。
細身の体で飄々としたおかしみと都会的センスが見事にマッチし、レパートリーも古典から新作まで幅広いものがあった。得意ネタに「植木屋娘」「鉄砲勇助」「がまの油」「立切れ線香」「ぜんざい公社」「昭和仁侠伝」(自作)など。
平成5年1月4日、肝硬変の為,死去。享年51歳。



春蝶語録


口から先に生まれてきた人間ばっかりの集団であろうと思っていたこの世界、案外そうではないのかも…と最近思い始めた。
大成する人は、どの世(世界)でも寡黙である。
引き出しの中にいらないものを沢山入れていると、必要なものはなかなかみつからない。

 

落語家が落語をやるのにどうしてそんなにプレッシャーがかかるの?、とよく聞かれるが”本職”だからである。
ましてや20年、30年もこの道で食っていると、へたは打てない。うまくやらなければ仲間内にも、もちろんお客さんにも申し訳ない。

 

人間には雨が降らないのが晴れだが、
植物にとっては雨が晴れであり、
晴れが雨ではなかろうか……。

 

今の日本の親、成績‐就職‐結婚‐幸福。
一直線に考えすぎていないだろうか。
働き蜂の幼虫を育てているようにも思える。
ピタゴラスの定理を知らなくても ニチイで買い物はできる。
僕の一番大事なものは、落語だ。
しかし、それより大事なのは大助(春菜)だ。
それより大事なのは恵子(妹)だ。
しかし、一番大事なのは和子(母)。
彼女がいなければ僕の人生はありえない。



父親、桂春蝶への手紙


僕は今まで父親・春蝶についてたくさんのことを大勢の方々から質問されてきました。
その中でも一番多かったのが、お父さんと比べられて嫌じゃないですか、ということ。
僕はいつも自信を持ってその質問にこう答えています。
「親父と比べられることは嫌どころか
僕にとって、すごく幸せなことです」と。
桂春蝶さんという噺家さんはとてつもなく偉大。
そんな人に駆け出しのぺーぺーである
僕が比べてもらうこと自体、
本当に光栄なことだと思うからです。
最近になって思うことですが、
子供の頃に理解できなかったあなたの言葉なんかも
一日一日わかっていくような気がします。
存在しないからこそ分かっていくことが世の中には
あるんですね。
いまだに教えられっぱなしの私でごめんなさい(笑)。
落語家っておもろいな〜。
こんな仕事に2代続けてなれているのは
僕らは幸せですね。